魂、脈々。

 幼少期、“死”への意識にどれ程の恐怖を感じたことか。某大予言の夜は汗だくになりながら布団に隠れるように眠ったのを覚えている。

 月日は経過し、大人になった。お盆。大伯父たちが自身の命の尺について冗談を交えながら、いや半ば本気で語り合い、笑っている。僕も笑う。

 

 理髪店のサインポールのからくりに首をかしげていた幼少時代、大方のことが想像することで満足できた。つじつまが合わないことなんか問題ではなく、身の回りの不思議は心地よい夢であった。

 成長は事実と根拠を拾い歩く。「いつまでもみんな一緒に」と願った夢が叶わぬことを知った。生きているものが有限であるという理解も得た。死ぬことに対するとてつもなかった恐怖は和らいだが、直面した時の悲しみはおそらく増していくばかりだ。人間が誰かと繋がりながら生きていくという深みに触れることは、喜びと悲しみの感覚を助長させる。

 

 23歳になった今年、今まで見てきたものにもう一度眼を配る。22年間面倒くさいと思い続けてきたなんとも些細なあれこれを、ゆっくりゆっくり咀嚼するように、取り戻していくように。

 

 

 魂、脈々。異常気象に脅かされど、まだまだ続く人間界。

送り火の煙が風にのる。まだ見ぬミサイルが降る夜に、ストリートミュージシャンが歌を歌っていることを願って。